通訳 VS 翻訳(パート2)
最近、通訳だけでなく翻訳も講座やセミナーなどで勉強するようになったのですが、メンタルの持ちようがこの二つでは違うのかなぁと最近感じています。
通訳は、現場に出ればどんなに自信がなくてもそんな様子はまったく見せず、「あたし最強」オーラやフェロモン?を出して自分の脳も(時には)騙さないとやってられない仕事だと思っています。
お客様の前では見栄を張らなければ、ということではなく、そうでもしないと怖くて訳が口に出せないからです。
(もちろん、不安そうにビクビクしている通訳者を見てお客様がどう思われるか、というのも重要だと思いますが・・・(^^;))
基本的に、通訳は相手が言ったことをその場で訳します。
そして、発言が終わったら聴衆の皆さんが通訳が口を開くのを今か今かと待っています。
同時通訳だと、数秒レベルのタイムラグで訳し始めないとどんどん遅れて迷子になってしまいます。
辞書を引く時間も余裕もないですし、「ハァ?なんてぇ?もう一回~」とか気軽に聞けるわけでもありません。
基本的に頼りになるのは自分だけなので、その自分が信頼できないと味方はゼロです。
・・・というわけで、通訳の前は「私デキる通訳じゃね!?」と言い聞かせるようにしています(実態については割愛)。
ただ、翻訳はそのメンタリティで取りかかると、痛い目を見るような気がします。
というのも、翻訳は背景知識を丹念に調べつつ一語一句、冠詞や前置詞にも細心の注意を払い、原文をねじ曲げないようにする必要があるからです。
↓この絵、ご存じの方が多いと思いますが、いわゆる「だまし絵」というもので見方によって「若い女性の顔」と「おばあさんの顔」の2種類があります。
(出典)
何かおかしい?!頭が混乱するだまし絵・錯視画像集 | ailovei
翻訳は、この「だまし絵」が多いなぁと最近実感しています。
ただ、このだまし絵はどちらに見えても正解なのですが、翻訳には正しい解釈があり、見方を誤るとそれは「誤訳」と呼ばれます。
このofは何にかかっているのか、ゴミみたいに見えるカンマやダッシュは何を伝えているのか、なぜ定冠詞ではなく不定冠詞なのか、など細か~~~いところまできちんと見ないと本来見えてくるはずの絵柄が見えてこず、思い込みで「おねえさんだぁ~♪」と突っ走ってしまい後で恥ずかしい思いをします。
今日、高橋さきのさん、岩坂彰さん、井口耕二さんのセミナーに参加させていただきましたが、井口さん曰く、
「自分の訳文は可能な限り意地悪に読む」ことが大事だそうです。
徹底的に自分の訳文を疑ってかからないと真実にたどり着けないんですね~・・・。
通訳の現場とは自分との向き合い方が違うのかなぁ~と思った次第です。
あ、ただ、もちろん通訳も「私最強」メンタリティのまま仕事終了後に突っ走り続けると、おそらく何かに激突するか、変な溝にはまり込むと思います(^^;)
現場では「自分アゲ」しまくったとしても、その分後の「一人反省会」が大事と思います。
とあるベテランの通訳者さんは、現場では可能な限り録音し、帰宅後聞き直して反省して訳し直す、という作業を地道に続けられているそうです。
まぁ、何をやるにしても改善する作業は必要ですよね(そりゃそうか)。
はぁ~精進しよう~